ロンドンのバスキングバブル時代とバブル崩壊の思い出話。
ここで一息、失礼。
ちょっぴり戯言を綴らせて頂きます。
先日、久々に、バスカーデビュー同期の仲間(女性)と話しまして。
「彼女のバスカー引退はカッコよかったなあ!」と、なんとなく新人時代を思い出したので、ちょっぴりお話ししたいと思います。
個人の戯言なので、散文・エッセイ調ですが、ロンドンバスキングのちょっとした歴史に興味のある方は、ぜひお立ち寄りください。(笑)
イギリスのバブル時代と、バブリーなバスキング業界
私がイギリス・ロンドンで、公式音楽ライセンスを取得したのは2007年。
バスキング業界が「超バブリー」な(笑)時代の真っ只中でした。
イギリス自体も、結構バブルでしたからね。
その少し前は、1ポンド、240円前後の時代です。
記憶上、260円まで上がったことも!!(驚)
ほとんど日本円は持参してなかったんですが(笑)あっと言う間に消えるのは当然で、何を買うにしても、最初は日本円に換算する癖がありましたので・・・
なんと高い国!と思いました。
今では、レートがどう前後しようとも、1ポンド=100円の現地感覚で使うんですが、それにしても、当時の1ポンド、200円超えと言うのは・・・
稼いだ気もしないし、一瞬でお金が消えてしまうような感覚でしたね。(笑)
2005年にロンドンオリンピック開催が決まり、渡英当初は街の至る所で再開発計画や工事が行われ、イギリスの景気もよかったので、当然バスキングのチップも良く、「稼げるアルバイト」として人気の職業でした。
当時、バスキング事業を運営していたエージェントも、エンターテインメント性を重視しており、華やかな印象もあったバスカー達。
ライセンス取得のためのオーディションも人気で、取得が難しい時代でもありました。
私も、書類選考の結果を待つだけで半年近くかかりました。それだけに応募数も多かったのだと思います。
選考通過し、最終オーディションを受け、ポリスチェックを受け、そして晴れてライセンス取得。
2007年の後期に、バスカーデビューしました。
ロンドンのバスキング業界には、過酷な上下関係と修行期間があった!?
その頃は、新人バスカーに課せられたノルマも大変で、一定のノルマ数と時間を経過しないと、日のあたるスポット(稼げる場所)で演奏させてもらえないと言う、昔のエンタ業界の都市伝説か?!と言うような、修行期間がありました。(現在は新人修行期間はありません)
いわゆる、上下関係のような感じでもあります。
演奏ピッチを確保するには、エージェントにブッキングの連絡と確認が必要なのですが、熟練バスカーと新人のバスカーでは、コンタクトできる時間帯に時差が発生します。
つまり、先輩方が演奏場として確保しなかった「あまりもの」しか与えられません。
新人時代は、ノルマ達成をクリアし、新人とみなされる時期を過ぎるまでは、地味で人気のない場所で、微々たるチップの量を得ながら耐えるのです。(笑)
その期間を抜け、晴れてフル活動、良いピッチで演奏できるようになったときは、本気で(金持ちになれるんちゃう?)と思ったほど。
それまでとは全くチップの稼ぎが違うんですよね!
マネージメントのメディアへのバックアップも華やかで、バスカー皆がキラキラしてた時代。
もうバスカーのまま一生過ごしていいや、くらいでした。
でもそれは、国の景気のよさや、時代背景だったのですね。
そこから1年も経たないうちに、経済は徐々に衰退してゆき、2008年の7月に、バスキングエージェントは解体。
それに続くように、数ヶ月後にリーマンショックが訪れるのです・・・
路頭に迷うバスカー達を救った英雄はビジネスマン!?
バスキングエージェントを失い、路頭に迷ったバスカーは数知れず。
その時点で、転職を決めたバスカーも沢山いました。
だって、管理を失ったのですからね。
バスキングのピッチは無法地帯になるのです。
ライセンス制度以前、バスキングのトラブルとして有名だった、バスカー同士の縄張り争いが起こります。
ライセンスはあれど、管理するマネージメントがない。
合法なのか、違法なのかも何だかはっきりしない。
マネージメントがある事によって、公平に振り分けられていたピッチがなくなる。それによって、確実に「何時間演奏できる」と言う保証がない。つまり、収入の目安もわからない。
そして、いつ誰に襲われるかわからない・・・
そんな状況でやれっか!と、やめていった人多数。
そんな中、少数のバスカーはしぶとく演奏を続けていまして。
私もその一人です。(笑)
やめたくても他にやることないし、稼ぐ口もないし、と言うシンプルな理由だと思うんですよ、残ってたみんなも。
結構強面のメンツばかりが残ったんで、嫌がらせされないかなーとか不安だったんですが、人気のある場所は譲り合いながら、平和にやり過ごせたんですよね。
果ての見えない忍耐というのは、確かに必要ではありましたが・・・
バスカー同士の争いについては、意外にも大きな問題にはなりませんでした。
ちょこっとピッチに顔を出して(あ、誰か演奏してる)と思って引き返そうとすると、「ヘイ!僕はもうここで4時間も演奏してたから、次どうぞ」と、声をかけてくれて。
中には、厄介なバスカーもいたりしましたが、手を取り合えたバスカーが多かったことの方が印象に残っています。
そして、先の見えない中、無謀にピッチを探し歩きながらの生活を続ける中、名乗り出てくださったのが、現在のマネジメント管理のボスです。ボスの団体はまさに交通機関の管理業務。
正式な国のライセンスではありましたが、マネジメントも正式に国の管理になったんですよね。
それまでは、エンターテインメント業界の人間が、まさしくバスカーというタレントのエージェントをやっていたわけですが、全く別の事業で活躍していたビジネスマンが管理する事になったのです。
当然、ルールはさらに厳しくなり、堅いわ、しかもボスは怖いわで、また、彼らにとってもエンターテインメントの運営は初めてなわけですから、手順もスムーズではなかったのです。
文句を言うバスカーは多かったのですが、私は割とボスが好きでした。
一部のバスカーも「彼は厳しいけど、クールで素晴らしい」と言う人もいました。だって、バスカーを助けてくれたわけですからね。英雄ですよ。大人しく言うこと聞いてましたね。(笑)
実際、そのボスこそが、後に、日本へのある事の協力の手助けをしてくれた恩人なので、やっぱり根は良い人だったんだと思いました。その話しはまた今度。
バスキングは個人事業の極み業
新たなマネージメント管理がついたのは、リーマンショックの直後ぐらいだったと記憶します。
もうあの前後は、過酷だったので日時まで覚えていません。(笑)
エージェントが解体され、無法地帯でバスキングを行なっている矢先にリーマンショック。
バスキングしても、通行人は嫌な顔をするばかり。チップなんてほとんど入りません。
みんな、それどころじゃないのですから。
そんな中で新たな管理が入り、システムが総取っ替え。新たなルールにてんやわんやでした。
慌ただしかったですが、生き残りをかけて踏ん張った感じです。
人々にとっても、音楽なんて聞く余裕もないくらい過酷な時期でした。
それでも、ささやかな音楽のギフトに笑顔になってくれた人もいたことが、我々の救いです。
そして、イギリスも不景気の時代に突入。
数年後にオリンピックを迎え、その開催年の2012年が終わった頃には、バスキングの絶頂期のチップ収入から、半分くらいになりましたね。
時代と景気、人々のフィーリング、そしてチップは見事に反映してます。投げ銭ですから、当たり前かな。
丁度、ロンドンオリンピックの2年ほど前から、レコーディングワークも軌道に乗ってきていたところだったので、バスキングには依存せず、他の仕事の比重を増やす事にシフトし始めたのもその頃です。
バスキングも楽しいですが、フリーダムである分、頼れるものも保証も当然なく、演奏する場所がなくなれば行き倒れです。
音楽の仕事そのものが個人事業であるため、保証はありませんが、そこには共同作業や仕事のつながりが生まれます。
しかし、バスキングは、完全にフリーです。
いくら国に公認され、管理されているとは言え、バスキング中の身を守るのも自分、チップが入るかどうかも運でもあり、バスキングピッチに立たない限り、代わりの作業はありません。
バスキングと同時に、作品制作や、人によってはメディア活動や、何か全く他の仕事を持つなど、必ず別のフィールドで下地を作る作業を行っておかないといけません。
これからバスキングを始める方は、基本的には「バスカーはバスカー」であることを心して、取り組んでください。
バスキングから「次」が生まれることは、ほとんどありません。
いくらバスキングが楽しくても、それ一本に集中せず、他にも視野を広げることを忘れずに、そこそこの比重でやる事がベストだと思います。
超かっこいい!同期のスザンナちゃん
ここでようやく、同期の友人の登場です。(笑)
2007年にライセンスを取得し、バスキングの正式活動を始める前、新人ミーティングがエージェントのオフィスで行われたのですが、その際に顔を合わせた同期の一人が、スザンナ(仮名・女性)。
偶然にも、それ以前にもブルーズやジャズのバーの演奏で何度か会い、交流していた顔見知りのジャズミュージシャンでした。
同期としてライセンスを持ったのも縁なら、その後もご縁が続き、バスカーとしてのインタビューや、ドキュメンタリーで呼ばれた先には、必ず彼女も呼ばれており、何度か共演した他、同じプロデューサーの元で同じCD制作に関わった事もありました。
そして、先日久々に話したきっかけも、彼女が現在レコーディングしているスタジオのプロデューサーが、私が一緒に作品を何度も作っているミュージシャン仲間だったんですよね。
行く先々で出会うスザンナは、昔からポジティブでハッピーなオーラを纏った素敵なミュージシャンです。
しかし、彼女のバスキング歴はとっても浅いんです。
と言うのも、バスカーとして活動していたのも束の間、1年も待たず、あっという間にライセンスを捨てたんですよ。(笑)
なんとかっこいい!
スザンナとは、仕事先だけでなく、地下鉄やバスなどでも偶然会う事があり。
当時の新人時代。たまたま乗り合わせた地下鉄の車内で、楽器を持って座っていたスザンナを見かけました。
「バスキング帰り?」
そう声をかけたところ、彼女は一言。
「バスキングなんて、とっくに辞めたわよ。」
えっ!?
「バスキングを始めて、好きな演奏を毎日続けられて、チップは沢山頂けるし、すごく有難い事だと思ったわ。でも、このまま続けていたら、本当にやりたい事を逃してしまうと思ったの。私が立ちたいのは舞台であり、そして作品を作る事よ。チップはチップよ、私の演奏で得れたとしても、私の実力で勝ち取った仕事で得た本当の収入じゃないわ!これで稼いでしまうと、錯覚してしまう。でも、ライセンスがあれば頼ってしまう。だから捨てたの。」
「・・・グッバイ!ってね。笑」
そして、笑いながら下車し、こちらに手を振りました。
何も言い返せず、口あんぐりで、その姿を見届けましたね。(笑)
もう、鮮明に記憶が残っていますよ。
だって、誰もが、これからバスキングで稼いでやる!顔を売ってやる!と、まさに、バスキング錯覚の催眠状態に入って、その世界にハマって行く真っ只中の頃ですよ。
音楽活動を続けるためにも、チップの足しは凄く助かるものですから、スグは辞めようとは、誰も思わないかと思います。
でも、彼女の言うことはまさにその通りなのです。
前述の通りに「バスカーはバスカー」なのです。
ステップアップするならば、違う方法に目を向けないとダメなんですよね。
とはいえ、まだまだバスキングの真髄まで覗いてない時点で・・・彼女は悟りが早すぎ!(笑)
「あんた、あの時カッコよかったよねえ~!」
・・・と、そんな昔話しを、スザンナとしたばかりなのでありました。
長々戯言を失礼しました。(笑)
最後までお読み頂いた方、有難うございます!