自由人や旅人は危険な場所に近づかないことが必須の条件
自由に生きるって素晴らしいですよね!
お天道様の下で、風に逆らわず、流れるように旅をして暮らす・・・とても自由で身軽なイメージがあります。
しかし「自由」というのは落とし穴でもあります。
自由こそ自由は無い。自由に生きるからこそ自らがルールを以って規制を守り生きていかなければならないと思います。
そこで、自由人に一番大事なことについて、自らが感じることや周りの経験をあげながら考えてみました。
危険な場所・物には近づかない
自由人や旅人に必要なのは、スマホでも着替えでもありません。
危険予知と危険の回避だと思ってます。
確かにインターネットなどから得る情報は必要です。
着替えも大事。だけど着替えなら洗濯でなんとかなりそう。
お金も大事、食料も大事・・・と言うと流石に果てしない問題になってきてしまうので、この辺の生きるための基本的な部分は省きます。
一番大事なのは、命と健康を守る事だと思うので、危険予知や、危険に近づかない事、その可能性があったらすぐに回避・逃げる事だと思っています。
ジーニアスに頼ってしまう私たち
私もiPhoneやLaptopは、どんな時も欠かさず持ち歩きますし、旅の必要なアイテムでもあります。
Laptop(ノートパソコン)を持ち歩く事はなくても、iPhoneやスマホを持ち歩かないと言う人は、今の時代にはいないと思います。
仕事に必要不可欠なアイテムとして持ち歩く人以外にも、連絡ツールや、大事な情報源として、そして旅の思い出の写真や動画撮影のために、なくてはならないものですよね!
でも、スマホの普及以来、本当に増えたと思うのが「スマホに全部任せて旅をしている人」の多さ!
私の初海外渡航当初は、パソコンは1人1台時代で持ち歩いていたものの、当然普通のケータイ時代でして、ケータイは携帯電話としての機能のみで使用、写真はデジカメと言った感じでした。
日本では、ケータイのカメラ機能は普通にカメラとして使えるレベルでしたので、動画撮影も普通、お財布ケータイも普通でしたが、イギリスでは、まだまだテキスト・オンリー、まさに通話とテキスト機能のみの白黒画面のモバイル電話が多かったんですよ。
トップアップ式のね。懐かしい!
当然、街中でインターネットで地図を確認するなんて事は皆無だったわけで。
私は結構ビビリなもので(汗)知らない土地に行く時は、地理をほぼ丸暗記するくらいの勢いで、最低限行く予定の場所や使う鉄道関係などはすべて覚えていました。
そしたら、道端で地図をひろげなくても済むでしょう?
やはり「旅行者だ」とか「外国人だ」と思われる事が、危険度を少し上げていることにもなりますので。
でも、今では、通称ジーニアス(天才)と言われる、テクノロジーの普及で、手元でコンパクトに情報収集できるじゃ無いですか。
スマホ普及の当時は、スマホを手に持って歩いているとスリに狙われるとか、スマホはなるべく出さない方がいいとかありましたが(現在でもあります)、最近はスマホ片手に移動というのは普通なので、そこまで目立ちませんよね。
便利になりました。
あればあったで、やっぱり頼ってしまいます。
バスキング中に泣きついてきた日本人男性
しかし、手元のスマホにすべてを任せてしまう事、そのリスクは計り知れません。
海外旅行では絶対にやめた方が良いと思っています。
イギリスは、比較的に至る所でFree Wi-Fiが使える、良い環境の方だと思います。
日本よりは使える場所が多いかもしれませんね。私は日本の方が困ってしまうので・・・
ロンドンでもリヴァプールでも、Wi-Fiを開放しているカフェを至る所で見つけることができるので、ネット環境には苦労しないかもしれません。
しかし、イタリアでは、空港でも使えない(有料)ところもたまにあり、街中でも使えるカフェなどは少ないので、安心できるネット環境は宿舎くらいです。
ポケットWi-Fiを持参している人は別ですが、インターネットが使えなければ迷子の際に地図も見れず、連絡先などの基本情報しか頼りになりませんよね。
それくらいならまだ良いのですが、バッテリーが切れたらどうするんでしょうか・・
日本のチェーン店カフェのように、チャージャー付きのテーブルが並んでいるようなお店は、海外には一般的にはありません。
以前、ロンドンのオックスフォードサーカスでバスキングをしていた時に、突然、半ベソ顔で目を潤ませた日本人男性(23~25歳くらい?)が、突然私の演奏を止めて「日本人ですか!!!?」と、声をかけてきたのです。
すごい剣幕で。
聞くと、スマホのバッテリーが切れて、困っているのだとか。
(でもまあ、ホテルに戻ってチャージすればいいよね)
・・・と、思ったんですが、どうやらそう言うわけにいかないようで。
「さっきヒースロー空港に着いたんですよ!先輩のところに泊まる予定なんですよ!でも、バッテリーが切れてしまって連絡取れないんですよ!」
怒り口調で、初対面の私にマシンガンの如く話す男性。
演奏を止められてあんまり良い気分では無いものの、同じ日本人ですし話しを聞いてあげて「先輩の家はどこなんですか?」と聞くと・・・
「知らないんですよ!」(男性)
「アドレスは?」(私)
「住所も知らないんですよ!」(男性)
「・・・・・・・・・。汗」(私)
「だからその場所を聞くために連絡しようと思ったのに、バッテリーが切れたんです!」(男性)
見ず知らずの人にそう言われても、最初からかなり呆れてしまっていた私でしたが、困っているので助けてあげなければと思いまして、(私がやる義務は無いんだけど)代わりに電話をかけて、その先輩とやらに連絡してあげようかと思いまして、連絡先を聞いたんです。
「だからその電話番号もこのスマホに入ってるんで、見れないんです!怒」(男性)
知らんがな!!
こっちが怒りたいわ!(笑)
いや、もう、絶句ですよね。
日本から海外旅行に来て、友人のところに泊まるもよし、Lineで連絡取るもよし。
しかし、場所も住所も聞かず、泊まるところもわからない状態でよく海外に来たなあと。
住所と、その先輩の連絡先(イギリス番号含めて)はせめて、別途メモくらいには残すべき。
百歩譲って、モバイルチャージャーくらい持って来んかい。
はっきり言ってどうしようもないし、そこまで来ると手助けしようも無い。
それに、私もバスキング中(一応、仕事中)だったし、場所を離れるわけにもいかない。そもそも私、見ず知らずの出会ったばかりの人ですから。(笑)
かと言って、この男性が、下手に誰彼構わず声をかけてチャージできる場所を探そうとして、変な人に騙されてバッテリーの切れたスマホを盗まれても困るので、「地下鉄の駅員さんが何処どこにいるから、そこで聞くといいですよ、多分オフィスで充電させてくれますよ」と、伝えたんですよね。
「英語喋れないんですよ!!!怒」(男性)
・・・・・・・・・・・。
いやいや、こっちが(怒)だわ!(笑)
英語喋れないなら尚更、念には念を入れて準備しておくべきでは?
翻訳アプリだって、ネットが使えなかったら使えません。仮にスマホの電源があっても、Wi-Fiが使えなかったらアウトです。
仕方がないので、英語での訊ね方を何処かにメモってあげようと思ったのですが、
「紙、持ってません」
「ペン、ありません」
「ガイドブックもありません」
・・・・と、驚く回答の連続。
私はペンは持ってたんですが、ノートがなかったんで、結局、その辺を歩いていた通行人さんを呼び止めてノートの切れ端を頂き、訊ね方をメモって差し上げました。
やれやれ。
・・・で、その男性は、お礼も言わずに怒った表情のまま、走り去っていきました。
チップ置いていかんかーい!(笑)
いや「有難う」だけでいいんですけど、ここまで来るとチップでも置いていかんかい!となりますわ。(笑)
気の毒だとは思うのですが、正直なところ迷惑でしたね!
困っている方は助けたいですが、自己管理能力と言うか、危険予知の意識が全くない方は、どんなに辛い目にあったとしても、同情しかねます。
人間、困った時はお互い様ですので、協力は必要ですが、少しでもその意識があってこそのこと。
この男性は、意識が全くゼロでした。
せめてペンくらいは持っていましょうよ。(笑)
そんなわけで。
旅先ではスマホには頼らない方がいいです。頼ったとしても、万が一のことを考えて、せめて50%くらいの依存度にした方がベター。
電源、またはネット環境がなければ、ただの板。
最後に強いのがアナログです。
危険予知というにはダイレクトでは無いお話しですが、私がもし悪い人間だったらどうするんでしょう?いきなり海外で見ず知らずの人に駆け込みで話しかけて、本当に大丈夫?
困っている人を助けるふりをしてスリをする人だっているんですよ。騙して何処かに連れていく人だっているかもしれないんですよ。
無事に先輩の家に辿り着けなかったらどうするんでしょう?・・・と、いうことですよね。
友人の友人が、スラムであえて危険な場所を通った結果・・・
昔住んでいたフラットが、イーストロンドンでも特に治安が悪いと言われるスラム街にありました。そこに住んでいた頃の話しです。
ここ数年ですっかりイーストロンドンもお洒落な街となり、観光スポットになりましたが、その場所は、今現在でも観光スポットにはなり得ない区域ですね・・・
その頃、一緒に住んでいたフラットメイトの中に日本人男性がいて、ある時、その友達が泊まりに来たんですよ。日本からの旅行で。
私は基本はビビリなもので(笑)危険エリアの情報収集は念を入れてまして。
あとは、匂いでもわかりますしね。
邪のみちは蛇とでも言うのかしら?(笑)
街の景色にも溶け込む方だと思うので、あまり危ない目にはあいません。と言うか、遭わないようにかなり気をつけていますし、かなり気も張ってます。あと、相手を見てからですが、現地住人とも仲良くします。(笑)
余計なお世話だろうけど、その日本人のお友達にも「危険情報」をお伝えしたんです。
「ここから1ブロック先、東方面には行っちゃダメですよ」「こっちの最寄り駅を利用したら、ちょっとヤバいエリアを通るので避けた方がいい、こちらの駅を利用してください」などなど・・・
相手は初めての海外旅行だし、こちらは現地に住んでいるわけですから、情報の一環としてもアドバイスを聞いて下さると思うじゃないですか。
私も現地に住んでいる人たちに聞いた事や、ちょっとした世間話や雑談で出てくるアドバイスを参考にしながら土地について学んでいきましたから・・・それを周りに伝えていくのも、またフレンドシップですよね。
こともあろうに、その日本人男性は、「避けてください」と伝えた駅をあえて利用して外出し、ヤバいエリアと伝えた道を通って帰宅するんですよ。
「全然大丈夫っすよ」と、笑っていたのですが、事件は5日後。
その彼が帰国する前々日に起こりました。
ある時、見るも無残に顔を腫らして帰宅。
話しを聞くと「ヤバいエリア」と注意した場所で、アフリカ系の少年集団に袋叩きにされたとか。
ヘッドセットをしてスマホの音楽を聴きながら歩いていたところ、一人の少年に肩をぽんぽん、とされたそうで、勢いついて振り返ったところに日本人の彼の手が、その少年の体をかすり・・・・
その瞬間、周囲から突然数人の仲間が現れ、一斉に彼に跳びかかってきたそうです。
もちろん、荷物や財布、スマホは全部奪われ。
不幸中の幸いで、パスポートはスーツケースに入れており、少しのお金もあったようなので、帰国には困らなかったようですが、楽しいロンドン滞在が最後の最後で台無しに。
彼の人生の中で、イギリスが嫌な思い出の国になってしまったと思います。
胸が痛みますが、どうしても理解できないのが、なぜ「あえて危険に近づいたのか」と言うこと。
鈍感だったのでしょうか、もしくは、危険なエリアで過ごした俺ってすごい!スラム平気だったぜ!なんて武勇伝にしちゃおうとか、そんな事をちょっとでも思う気持ちがあったのでしょうか?理解不可能でした。
もちろん、何の非もなくトラブルに巻き込まれることだってあります。
しかし、危険と知っていて近づいたと言う事は、本人にも非が出てくると思うのです。
「心配しすぎ!」と思うことでも、周りから助言されたり注意される事は、絶対に聞くべきだと思っています。
怖い場所を移動しなきゃいけない時だって、生きていればあります。
私が注意したその「ヤバいエリア」だって、周辺に住んでいる人は沢山いますし、日本人だって通る時もあります。私も何度か通ってます。だからこそ空気も分かっています。
そこを通る事が悪いことでは決してありません。通ってはいけないというわけでは無い。
しかし、そこをどういう心構えで移動しているのか、危険度を分かっているのか分かっていないのかくらい、見るひとが見ればわかります。
推測でしかありませんが、私はその彼が、普通にチャキチャキと、真っ直ぐに(移動の)目的のために歩いていたとは思えないのです。
鈍感力の使う場所が!(汗)
不思議なもので、ごく稀に、明かに危険そうな空気や、助言や噂を気にしない人もいるようでして。
ローマで夜間に友人6人でジェラートを食べに行った際(ローマ結構治安悪いです)、こっちに近道があるから・・と、友人1人がスタスタと向かった裏道が、信じられないくらいに怖い空気を醸し出してまして。
こりゃあ、ロンドンのスラムでもなかなか無いなあ、と言うような空気でしたね。
私は「これはちょっとヤバいんじゃん、通らない方が」と言ったのですが、全く気にしない友人もいまして。
そこに鈍感力はいらないかなあと。(笑)
その友人6人のうち(私を含めて)3人は、大通りを通ってジェラートショップへ行きましたよ。ハイ、結構ビビリなもので。(笑)
半分くらいは、気にしない人もいるのかなあ・・・うーん。
助言をスルーせず、注意の意識は持っていたい
旅行であれば現地に住む人や、日常生活であれば、その物事のスペシャリストや慣れた人の助言、年配者の話しや昔からの迷信などは、流さずにある程度頭に入れた方がいいと思ってます。
例えば、それがちょっとした注意の呼びかけであっても、耳に入れるべきだと思います。
危険かもしれないと言われている事に対し、それを危険と捉えるかどうかは本人の解釈で変わってきます。
しかし、その危険の可能性が1%でもある以上は、1%だと思って用心しなかった事を後悔するより、「危険と捉えて用心したが何もなかった」方が、良いに決まってます。
その用心が無駄となったとしたら、それほど有難い事はありません。
まとめ
自由人も、旅人も、そして一般社会で生きていても、人生の冒険はいつでも出来ます。
最近になって、この時代になって本当にやっと気づけた気がします。
焦っても、迷っても、辛いことがあっても、冒険ができると言う環境こそが幸せ。
危険に近づいたり、危険を回避する行動を怠ったりしては、その冒険が出来なくなることもあります。
何よりも、命と健康を第一に考えたいと、皆が思っていると思います。
誰かに、何かに縛れることがなくても、自分の中で最低限のルールと秩序を持ち、自由に生きる分だけ周りには決して迷惑をかけないよう、そして自分の身を自分で守れるよう、心がけたいですよね。
個々でありながらも和となって、頑張りたいと思います。
最後までお読み頂き有難うございます。