糸の切れた凧にならないために、本当の自由についてちょっと考えてみようカナ(戯言です)
皆さんは「自由」と言う言葉を聞いて、どんなイメージを持ちますか?
「何も縛られる事なく、自由に生きる感じ!」
そんな感じのイメージですよね。
「自由って自由って事でしょ?」と答えるしかありません。(笑)
まさにその通り、自由とは、束縛なく自由に自分の意思で行動できる、そんな環境にいる事を意味します。
心の解放のような、内面的な意味合いも持てるかと思います。
しかし「自由ほど自由では無い」と、自由に生きてきた身としては思う時もあります。
実際に、フリーランスで働く人たちは、自分たちで仕事を取り、自分たちでお金の管理をし、自分が動かなければお金を得る事もできません。
そして、何かトラブルがあった時も守ってくれるものはなく、自分たちで責任を取らなければなりません。
自分の好きなことをやっているんだから、当たり前ですよね。
好きなことを仕事にすることで、心の充実感や、組織に属さず自由に働く事で解放され、伸び伸びと働けると言うことも大いにあると思います。
でも、よくよく考えてみると・・・
本当の自由というのは、規制されている中でこそはじめて生まれるものなのではと、思うことがあります。
今回はちょっと戯言を綴っていますが、ご愛嬌にて・・・(笑)
アフター5の自由とは
5時と言うのはさておき、会社勤めにあたっての定時や終業時間は、お仕事の業種によっては午後6時であったり、8時であったり、10時であったりすると思います。
残業などがあれば、それも違ってきます。
時間に関わらず、担当している案件やその日の業務が終わるまで働かなくてはならず、時間なんか関係ないと言う職種もあると思います。
しかし、それが終われば、あとの時間は自由。
定時で5時に終わる仕事であれば、アフター5(死語ですみません。笑)は自由です。
確かに、翌日の出社を考えると、開放しきれない部分もあると思います。
しかし、それまでの間の時間はまさに本当の自由では無いかと思うのです。
せっかく久々に会えたのに!と思ったけど・・・
私がある帰国時の際に、東京で音楽活動をしている友人たち4人でお食事会をした時のこと。
良い感じに話しも食事もドリンクも進み、盛り上がっていた頃・・
22時頃だったと思うのですが、友人の1人の電話が鳴り「急遽レコーディングワークのキャンセルが出た穴埋めに仕事を手伝ってほしい」と言う依頼があったのです。
友人は悩んだ挙句「仕事の声をかけてもらえたんだから、行くべきだよね」と、飲んで騒いで楽しんでいたその場を離れ、仕事に向かいました。
(せっかく帰国して会えたのに!今日くらい休めばいいじゃん!)と、正直なところ思ったんですよ、その時は。(笑)
しかし、そう言うわけにはいきませんよね、友人もフリーのミュージシャンですから。
フリーランスだからこそ、自由だからこそ、いつ何どきでも、対応できなければならず、又、そう言うスタンスにしておかないと明日の暮らしの心配が出てきます。
個人で仕事をしている人は、休日という休日は、取れないのが普通。
バスカーだって、休んでいる人はいません。
そして、安心した稼ぎを得るまでは、何時間でも演奏し続けなければならず、やっとバスキングが終わった・・・と思っても、演奏できるピッチを見つけたら、つい演奏を続けてしまいます。
飲み会に誘われても、演奏の仕事がくればそちらを優先します。
ひとつでも仕事を逃したら、後で後悔しますからね。明日も同じ仕事量が入るとは限りません。
経営者、企業の社長さんや、重役クラスの方、仕事で重要なポストを任されている方は、全く同じだと思います。
そう考えると「何時から何時まで、週に何日、いつが休み、そして給料はこれだけ!」と決められていることが、どれだけ心身ともに完全なる自由を得れることが多いのだろう・・・と、改めて規制された枠の中で働ける有り難みというのを感じる時があります。
なら、フリーランスはやめた方がいいよね、という話しになってしまうんですけどね。(笑)
結果、どちらにも自由はやはり存在するのでしょう、きっと。
毎日決められた時間に労働し、規制の中で窮屈な思いをしながら働くとしても、そこに確実に仕事があるという安心感という心の自由と、完全に解放される時間の自由を得ることができる。
逆に、365日動き続け、立ち止まってしまっては仕事が無くなるかもしれない、そこに確実に仕事があるとも、収入があるとも決まっていないという不安を持ちながら働くとしても、好きな事をやる楽しみ、誰からも縛られることなく自由に休みを決めることができる、そんな自由を得ることはできる。
実はどちらも自由であり、どちらも大変なんですよね。そう思うと、自分と違う方を羨んでしまったりするものなのですね。(笑)
なので、私自身は、仕事が確実に毎日あって、その業務を終えたら友達と遊びに行ったり、仕事のことを考えずにディナーができる時間は、すごく特別な自由に見えてしまうのです。
でも、そんな仕事につけたとしても、それはそれで不満が出たりしてね。
もちろん、組織の中で働いたことも当然あるので、うん、まあ「窮屈〜!」と、愚痴っていたかな。(汗汗)
人間、贅沢なものですよね・・・
しかし、仕事があるという事、サラリーを頂けるという事、これは本当に有難い事だと思いますよね。会社勤め、フリーランス関係ない。
仕事のベースがあるということは素晴らしい。
生活していけるというのは、本当に有難いことですよね。
改めて「自由」について考えてみると・・・
でもね・・・例えば私は、お肉とかワインとか、チョコレートとか、何か分かりやすくて、ちょっと贅沢な気分がして美味しそうな物が好きなんですが(笑)、それって、そうそう毎日食べたり飲んだりするわけじゃ無いんですよ、庶民ですから。
しかし、それらを目の前にドドーン!と出されて、好きなだけ食え!飲め!となったとして、多分それが、特別な晩餐の日であれば喜んで食べまくると思うのですが「永遠に食べていいぞ!」となると、ちっとも嬉しく無くなると思うのです。
でも、やっとこさ稼いだお金で・・・
「ああ、ちょっと今日は贅沢しようかねえ!」
なんて、バローロ買って、超高級なお肉を買って、美味しいドルチェを用意して(これを食べたら、しばらく我慢。また仕事頑張らねば!)そんな感じで食べると、きっとその時間は、ものすごく自由で解放された感じで、ものすごく幸せを感じられると思うんですよ。
それが幸せなのかしら、ということですよね。
あれ?
自由から話しがズレました?(笑)
幸福の話しになってました。失礼しました。(汗)
本当の自由や幸福っていうのは、箍が外れてしまってはダメで、ある程度の決められた枠の中で与えられた「自由な時間」で、最大限自分が出来る楽しみをやることが「幸福な時間」なのではと、思うのです。
個人的には。
人間、どれだけ自由に暮らそうとも、本当の本当に自由になってしまっては、箍が外れてしまってはダメ。
凧が自由に飛べるのは、手綱を握ってくれている人がいるからで、糸が切れてしまうと、しばらくは風に乗って自由に羽ばたけても、力を弱めた途端に太平洋のど真ん中でポチャンと沈んでしまうかもしれませんから。
そういう事を深く広げていくと、きっと秩序の重要性や法律という問題に繋がってくるんでしょうね。
・・・なんて、話しをしましたが、基本的には、会社勤めであろうともフリーランスであろうとも、心の自由を第一に考えた方が良いと思っています。
行動に関しては、いろんな生き方や働き方の形態があって、本人に一番ベストな方法を選んでいくことが大事であり、ただただ自由を求めると痛い目にあってしまうという事も多いと思います。
でも、心は自由に。
精神衛生を良く保つためには、心が楽しい、心が自由だと思うことを選択していきたいと思います。
個々であっても、和になって頑張っていきたいですよね。
フリーランスの皆さんも、会社勤めの皆さんも、幸せでありますよう!
些細なひとり言でございました。
最後までお読み頂きありがとうございます。