成功に向かうために、人生の中で迫られる決断!心豊かに幸せに暮らすために、ベストな選択はどっち?
「成功」には色んな意味があると思います。
子供の頃からの夢を叶えた「成功」、同じく目標を達成したことへの「成功」。
十分な収入を得て望む事をしながら暮らせる事も成功、多少の不便があっても、好きなことをしながら愛する人たちと暮らすのも成功。
その他に、他者の目からみて「成功者」と思われる事もあります。
他者の目から見て「成功者」と思われる場合には、その本人には何らかの犠牲があったり、心の中に埋められない何かがあるかも?しれません。
しかし「成功」とは総じて「心豊かに楽しく暮らす」という事に尽きるのではないかな?と思います。
心が豊かだと、幸せですよね。幸せは幸せを呼び、それが何らかの成功に繋がるような気がします。
子供の頃はケーキ屋さんになりたかったけど、大人になったらデスクワークをこなして日々を過ごしている。仕事に恵まれ、仲間に恵まれ、努力を楽しむことが出来て、前進しながら生きているのであればそれは成功であり、そんな日々を送っている本人にとっても「ケーキ屋さん」という過去の夢に何の依存もありません。未来へ進むに連れて、新しい夢がどんどん生まれてきているはずです。
これらは、至極当然のことではありますよね。誰でも「うん、わかってるよ!」と思っています。
夢や目標は、日々変わっていくものです。成功は、一度決めた目標を達成する事だけとは限りません。変わりゆく日々の中で新しく興味を持った事や、何か小さなことを一つずつこなしていく、そして心豊かに楽しく暮らせていることも立派な「成功」です。
しかし、私たちは「成功」=「目標達成」という所ばかりに焦点を合わせがちです。
そんな事を思ったのも、先日、私自身がお仕事の話しを頂いた時に少しだけ迷ってしまった際、「ある事」をふと思い出したからなのです。
と言う事で、人生で度々訪れる「選択の時」をテーマに、何度かに分けて綴っていきたいと思います。
行動=結果が、一定のパターンで決まっている?
私が先ほど申し上げた「思い出したある事」というのは、法則みたいな感じ?
自分自身が、ある行動を行った時の結果のパターンが、決まってる事に、以前気づいた事があったんです。その行動=この結果・・・みたいな。全て同じ結果となっているんです。
これって自分自身の中に気付かずに出来上がっていた法則?なんて思ってしまいました。
もちろん「私の場合」の話しなので、全ての人が同じような法則があるとは限らないので、ここから先の話しは「そこそこ」で聞いて頂けたらと思います!
先に書いた通り、先日、ある仕事のお話しを頂いたんですが、それが自分にとって未知の仕事だったんです。
今まで私がやってきた事とは、全く違うとでも言うか・・・
自分のキャリアと関連性ないよね、何で私を選んでくださったの?と思いました。
人生で初めて仕事をする人にとっては、全てが未知の世界です。しかし、5年、10年、20年、それ以上と働いてきている人にとっては、未知の仕事にトライするときに、ワクワクする気持ちと同時に、不安が出てくるのは否めないかと思います。
極端に言えば、転職する時にこれまでのキャリアに関連性のない職に転職をするとしたら、ものすごい思い切った行動だし、ある意味でリスクでもありますよね。それが躊躇なく行えるのだとしたら、その理由は、実はその転職先こそが自分の本当の目標で、そのために密かに準備していたという事ではないかと思います。
そうじゃない場合は、一瞬戸惑うのが普通ではないかな?と。
同じく私も、今までのキャリアが役に立ちそうもない、これまでの実績とは全く関連性のない仕事の分野・・・そんなオファーが私に来る事で「なぜ?なぜ私?」という思いの方が強かったのです。
誰かの「誘い」には乗ってみる!
私自身は人の誘いには乗る方です。それが、直感的に「気持ちがいい」場合に限ります。
「自分を呼んでくれる声」というのは、とっても有難い事ですからね!
しかし、実際には、何でもかんでも誘いに乗るというわけではありません。私も過去に失敗したこともありますし(笑)、誘いの中には自分にとっては凶となる誘いだってあるかもしれないし、騙そうとする人だっているかもしれませんよね。その辺は、受ける側の判断になってしまいます。
そこに、直感的に「気持ちが良いかどうか」と言う事も少し関係してきます。
経験上、直感的にポジティブに感じた事、直感的にネガティブに感じた事、このシンプルな決断をする事で、大きなブレはありません。ほぼ、正しい結果(直感で感じた通りの結果)に至る事が多いです。
単純に、直感でポジティブに感じることは「好き」、ネガティブは「嫌い」という事だと思うんですよね。それが、人間であれ、その物事であれど。
やはり、好き(うまくいくかも)、嫌い(うまくいかないかも)という感情って、その本人の過去の経験や記憶から脳や身体にインプットされているのか、後で考えてみても「当たっている」事が多いです。シンプルに判断基準にしていいのではと私は思っています。
私が、その「未知の仕事」の誘いを受けた時、何も考えずに相手から話しを聞いた時、ポジティブな印象を瞬間的に持つことが出来ました。
実際にそのオファーを受けた時の現場の様子などを想像してみたり。ワクワクした感情の方が先に来ましたね。
しかし、先ほど言ったように、「なぜ?」という、突如全く違う分野のオファーが来たことへの戸惑いがあったことも事実です。
いい歳して、新しい分野に進出していくのってどうなんだろうか・・・もしかしたら、今自分がやっている仕事に集中できない環境になるのではないだろうか・・・なんて、少し「うーむ」と、考えてしまったんですね。
そんな時、自分の行動パターンと結果が(昔からいつも同じだったじゃん!)と言う事を思い出したんです。
それで、仕事のオファーに少し迷っていた気持ちが、ふっと楽になったんですよ。
「あまり深く考え過ぎず、この迷っている瞬間の気持ちを優先した方が、自分にとっては良い方向にきっと進むな!考えるのやーめた。」
・・・と。(笑)
自分の行動パターンに確信を持っているわけではありませんが(笑)、つまりは、気持ちの部分ですかね。ここが、一番重要な判断基準になっていた事を思い出して、深い方向に考えすぎるのをやめたんです。
この「気持ち部分」に関しては、また改めてお話しします。
考え抜いて出した結論・選択には、結果が伴っていなかった!?
自分の行動パターンを把握したきっかけは、数年前に仕事上で、ある「選択ミス」をした事から始まりました。
結論から言うと、その選択は大失敗だったんです。その失敗によっての悔しい思いは経験と捉えて気持ちを切り替えれば良いけど、それによって失った時間というのは取り戻せません。
あの時に、別の事に時間を使っておけばよかった!と、人間なので思いますよね。できれば、なるべく選択ミスは避けていきたいものです。まあ、そんな事は難しいのですけどね。
その際に思ったことは、結果的に大失敗した事で自分は苦しい思いをしたけども、それまでの経緯は、誰も悪く無いのです。自分自身も、仕事相手も、良かれと思ってやっていたことが違う方向へと進んでしまっただけ。根本的に仕事に対するビジョンもやり方も思考も双方が違っていた事で歪みが生じ、違和感を持つようになり、結果を出せずに終わってしまったため、それが失われた時間に変わってしまった。
では、あえて「悪い」というなら、何が悪いのか。人間なので自分と相手が違うことは決して責められません。どんな形でどんな立場上での付き合いがあったといえど、それを選択した自分が悪いという事です。
その選択当時も、明らかに自分の中での「違うかも」という感覚や、先方への不信感のがあったのも事実なんです。それを無理やり「いや、良いはずだ!」と自分に言い聞かせて進んじゃった部分もあったのかな・・・まあ、色々なしがらみで。(笑)
その件を反省して、次のステップへと進む際に、反省ついでに、過去のいくつかの分岐点や大きな決意をした時の「行動パターン」を、自分自身で少し分析してみた事があったんですよ。
すると、驚くべき結果が!
「行動パターン」を分析するときに、大まかにざっくりではなく、その分岐点や決断をした時に、「その時、何を考えたか」「周りはどう言う状況だったか」「自分の本音はどうだったか」と、思い出せる限りに思い出して分析していったんですね。
すると、それらは、ほとんどが同じ行動パターン(その時の思考を含む)であり、ある行動を行った時は全てが良い結果へと繋がっていたのです。
分岐点だなあと思って振り返っているわけなんで、当然ながら、私自身が「ヨカッタ」と思える、現在へと繋がっている選択が中心となっています。(笑)
せっかくなんで、「あれはやらなきゃよかったなー」とか、思い出したくもない嫌な事(笑)など、選択肢を間違えたーって思うことも、分析してみました。
すると、見事に、ある同じ行動パターンをしたときには、悪い結果となっていたのです。
で、先に出しました、その「失敗の経験」の時も、後者の行動パターンだったのです。
これって、偶然かもしれないけど・・・いや、もう確実に自分の中の一定の法則みたいに思ってもおかしくないくらいですよ。(笑)
ズバリ!言いますと・・・
私のこれまでの上手く行った仕事の全ては、ノリやその時の勢いに任せた事や、誰かからの誘いを受けたもの。特に深く考えずに、流れに乗っただけの事。それらが全て、現在へと繋がり、自身でも誇れるキャリアとなっています。
逆に、細かく計画したり、「誰かのため」と自分の気持ち以外の何かに結びつける大義名分を言い聞かせて進んでいたり、あるいは考えて考え抜いて決断した事。これらは全て「結果が出なかった」または「やらなきゃよかった」と言う結末となっていました・・・・
詳しくは、また改めて。(笑)
「協力者を探し、緻密な計画を立てる」or「誰かに誘われて、偶然に揃った環境で生きる」どちらがベスト?
ベストな選択はどっち?として、上記例に出した2つを参考にしていきたいと思います。
繰り返し恐縮ですが、私の経験上でのベストだと思う選択ですので、実際に選択するときは、ご自身の考えを一番に優先してくださいね!
「協力者を探し、緻密な計画を立てる」を[A]、「誰かに誘われて、偶然に揃った環境で生きる」を[B]とします。
どちらを選択した方が、より良い結果となると思いますか?
私は、圧倒的に[B]を選んだ方が、良い結果に繋がっていました。
仕事しかり人間関係しかり、「自分が良いと思えること・結果を残せたこと・身についた(キャリアとなった)こと・好きと思えること」の全てにおいて、最終的にベストな結果となり、そして[B]の選択こそが、現在までそれらのご縁に繋がっているきっかけとなっていました。
もちろん、当時は「選んだ」なんて意識はありません。結果論です。
そして[B]を選択した時の気持ちというのも、自分自身で迷って考えて結論を出し、最終的にそれが良いと思って選択したと言うよりも、「勢い」「誘われたノリ」「時にハッタリ」「インスピレーション」・・・で、後に引けなくなった、そして頑張った・・・と言うのような真相のような気がします。(笑)
言い切ってしまえば、良い結果となった事や現在にまで繋がっている事は、全て「たまたま」「偶然」によっての結果なんです。
但し、私が[A]を選んだ時(概ね失敗が多い時)は、「選んだ!」という意識はかなり強いのです。そちらは偶然でも何でもありません。こうあるべきだ、と自分に言い聞かせて、その選択に進んだ事は否めません。だからこそ、悔しい、失敗した!って気持ちが残るのかもしれませんね。
[B]の時は、そもそもが偶然なわけなので、それが良い結果となって繋がっていたなんて事すら、分析するまでは気づきませんでした。何なら、「自分が然るべき取った正しい選択」くらいに記憶を書き換えちゃってましたよ。(笑)同様に、[B]で進んだ時の中にも失敗する事もあったと思うのですが、それも忘れています。もしかしたら、失敗しても、それをネガティブな失敗と捉えずに、ただの「過程」と捉えていたのかもしれません。
全く固執してないんです。そうでなければ、良い結果にも繋がらないのかもしれません。
あくまで、これは「私の場合」です。
[A]と[B]、いずれかを選択する際、私とは全く逆の方がうまく物事が進むと言う人だっていると思います。人それぞれに、個性や、やり方の向き不向きがありますからね![A]のように、人生の目標を達成するためには、計画を細かく立て、小さな事をひとつずつクリアーにして行き、自分の足と行動で人脈を増やし、自身で環境を作り、周囲の情報からヒントを得て味方を増やしていくと言うのは、一般的に様々な自己啓発本でも言われていますし、真っ当な方法だと思います。
それで会社を立ち上げ軌道に乗せ、成功している人って沢山いますし、とっても堅実であり現実的に夢を叶える方法だと思います。
同時に、特段計画していたわけでもないのに「なんだか知らないうちにやってた」って感じで、成功している人も沢山いると思いませんか?
著名人のインタビューや自伝を読んでも、「自分はこの仕事が使命だと思っていた」「計画を着実に実行してきた」「常にアンテナを張り巡らせ、情報を収集し、人脈も築いていった」と言う人たちと同じくらいに、「周りに勧められて」「周りに良いと言われてやってるうちに」「何となく誘われてやったら上手く行った」なんて人も、とっても多いと思いませんか?
ですから、[A]か[B]、どちらの選択がベストかは、人それぞれかもしれません。
「確固たる明確な目標」がブレずに定まっているかどうか、と言う決意の度合いにもよるでしょうし、本人のパーソナリティーも関係してくるような気もするんです。
そんなわけで、今回私が受けた仕事のオファーも、分析結果に基づいて決めたというわけではなく、それを思い出した事で自身のパーソナリティーに改めて気付いたので、考えるのが楽になったという結論です。(笑)
何にせよ、目の前に自然に訪れてきたことは、次のステップのための経験と思えばいいさ。なんて、アッサリ?
計画的に物事を進める事で、自分を追い込みすぎない
「協力者を探し、緻密な計画を立てる」=[A]
「誰かに誘われて、偶然に揃った環境で生きる」=[B]
[A]は、まさに猪突猛進ですよね。こちらを選択して物事を上手く進める事が出来る人は、例えば、受験戦争やスポーツなどのコンペティションで培ってきた「勝ち癖」が強くついている人かもしれないですし、あるいは計画的に物事を進めることが「好き」と言う人もいると思います。
こういう人、いるんですよね。私はすごく羨ましいです。
身近なところで言うと、うちの父親と、伯母がこのタイプです。計画立てて、きちっとそれをこなし、目標達成していきます。
ああ・・・なんで私はこんなに自由になりすぎちゃったんだろ。(笑)
[A]のタイプの人は、常に堅実に、確実なところからせめていくと言う方法を、知らずに子供の頃から学んでいたタイプかもしれませんし、選択するときに「迷い」が生じないのであれば、[A]は手堅い方法だと私も思います。
[B]は、さらっと聞くと何だか運次第のような?お気軽な感じにも聞こえますが(笑)、こちらを選択して上手く行くタイプは、色々な世界を覗くような冒険心があったり、適応能力に長けるタイプのように思うかもしれません。
しかし、[B]の場合は、あまり人間のタイプは関係ないと思うんですよ。平等に与えられたチャンスのような気がします。だって、探さずとも向こうから訪れてきた事ですから。もしかしたら、それこそが使命だったりする事もあるかもしれませんし、「今やっとけ!」という意味なのかもしれません。
具体的に何かを成し遂げようと言うものが目の前に無い時や、少し何かに迷っている時、または、夢や目標が無いと言う人にとっても、良い選択肢と言えます。
そして、[B]の何よりの強みは、「誰かに誘われて環境が揃う」と言うことです。
何か物事を始める時の環境を作ると言うのは、結構大変なことです。
それが偶然に揃うと言う事ほど、ラッキーな事なんてないですよね。
私は、これってかなり強力な成功要素だと思います。偶然とは言え、相手が自分に声をかけてきて、自分のための環境を作ってくれるのです。そこに、自分の成功の可能性がゼロと言う事はあり得ません。
しかし、その誘いが全て自分にとってベストなものかも、乗ってみないとわかりません。
逆に、[A]の選択をした人が、計画的にグイグイと自ら突き進んで行動を起こしても「それが向いていないかもしれない、可能性がゼロかもしれない」と言うリスクは常に伴います。
自ら計画して突き進んでも、コケる可能性はある。誘われて乗っかってみても、それが全て良いものとは限らない。要するに、どちらもリスクはあるのです。
ならば、明確に「コレ!」と、絞り込み過ぎずに、計画的に物事を進めようと言う事ばかりに囚われすぎずに、少し視点をズラしてみる事や、「こっちだよ!」と呼ばれた時に「よっしゃ!」と向かうような冒険もアリではないかな、なんて思います。
自分で選び、自分で決めると言うことは、生きるために必要不可欠な事です。
ただ、そこに一途になりすぎる事で、多くのチャンスを逃していると言う可能性も否定できませんよね。
相手に選択肢を委ねて、相手に全て決めてもらうと言うのはただの依存です。
しかし、相手が誘ってくれると言うことは、人頼みのそれとは全く違います。それは、相手が自分を選んでくれたということ。良く言い換えれば、相手にとって自分はそれだけの価値が少なからずあるのかもしれない、そう思ってもいいのです。
誰かに声がかかった際は、それに乗っかってみると言う事は、可能性を増やすことでもあり、正しい結果を導くひとつの方法と考えても良いと思います。
次の記事では、イザお声がかかった時、誘われた時に、迷ってしまったらどうしよう・・・と言う事について語っていきたいと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。